about ALIA

わたしは、宮崎県で脱毛サロンALIA(アリア)を経営しています菊池明子と申します。

剛毛というコンプレックスを学生時代から抱え、

今までわたし自身が、病気・鬱・失業など人生のどん底を味わい、

自分に自身が持てない、
家族とも上手くいかず喧嘩ばかり

いつも孤独を感じていた私が今は、
家族やお客様に喜ばれながら毎日楽しく仕事をしています。

わたしと同じように
ムダ毛で悩む人を一人でも多くその悩みから解放し、

尚且つ、疲れた身体を癒すことのできる空間を提供したい!!

自分に自信が持てない方に
自信を取り戻して欲しい!!

その想いでサロンを開業しました。

目次

 

コンプレックスの塊の学生時代

小学生の頃は、とても活発で木登りや探検など、

家にいるよりも外に出かけるのが好きな天真爛漫な子どもでした。

でも、中学2年の時にいじめを受けたことにより人間恐怖症になりました。

それが尾を引き、人を信じることが出来るようになるのに
本当に本当に時間がかかりました。

自己肯定感が低かったので、
自分に自信が持てず、

性格も自分の容姿にも
どこもいいところはない…

と、コンプレックスの塊だったんです。

しかも、追い打ちをかけるかのように高校の同級生の男子に

「俺が生えてないところに毛が生えてる!!!」

と言われた一言が脱毛に執着する始まりでした。

それまでも、自分は他の人よりも毛が多いと感じていたので、
ムダ毛の自己処理は当たり前の日常でした。

でも、その男子の一言で
高校卒業と同時に始めたバイト代は、
ほぼエステサロンにつぎ込みました。

高校卒業とともにサロンに行くのですから、
世間も知らない。
働いたこともない。
エステの知識もゼロ。

ムダ毛を無くしたい一心で飛び込みました。

18歳というと、
人を疑うこともしなかった純粋無垢の状態なので
エステシャンが言うことは、正しいと思い、

勧められるがまま、契約し、言われる通りに通い続けました。

当時は時間制の料金体制で、ニードル脱毛でしたので、
毎回涙が出るほど痛かったし、
1回の施術が30分くらいで、たったの10〜15本くらいしか施術してくれないんです。

(今考えると、このやり方では毛が少なくなるはずがないんですね)

もう、やめたいと伝えても

「ここで止めたら勿体ないですよ!」

と、追加の料金を何回したことか!!!

当時は、まだ

人に嫌われたくない、
断れないくらい臆病

に輪をかけて、引っ込み思案でしたから
今は、図太いですけどね(笑)

そして、当時はニキビだらけの顔だったので、
フェイシャルコースを勧められ約10万、

「やはり、サロンだけのお手入れでは限界があります…」

と美顔器と化粧品のセットを購入に約20万以上・・・

しかも短大の頃は、今よりも体格がぽっちゃりしていたので

「このままの体型では、すごくたるんだ体型になりますよ!」

と恐怖を煽られ、

「締め付けられるのは、苦手だからいらないです」

と断っても2人がかりで説得され、
しまいには

「店長価格!」

と、店長まで出てきて大人が3人がかりで説得するし、

契約するまで帰してくれず、2時間も帰してもらえず、
結局、いらない矯正下着に40万、

追加しても追加しても、次々と商品を勧められ、

このままここのサロンに通っていては、
綺麗になるどころか
お金を吸い取られるだけ吸い取られる!!

と、行くのを止めました。

気がつけば、ここのサロンに100万以上お金を使っていました。

脱毛に通っていたのに、
肝心の『ムダ毛』の悩みは解消されず、

いくつかの大手サロンを転々としてみましたが、
結局どこのエステサロンも
最初に通ったサロンとシステムはなんら変わらず、

結局は、サロンが儲かるシステムで
悩みは解決されることはない、

もう2度とサロンには行かないと思いました。

短大卒業し、保育士へ就職。

人の世話が好きだったので、

日々子供たちが成長する姿を見、
自分が教えれば教えただけ子供たちの反応が結果として返ってくる。

純粋無垢な子供たちと一緒にいる日々は本当に楽しい毎日で
保育士は転職!!というくらい誇りを持っていました。

 

出産をきっかけに極貧生活の始まり

けれど、結婚し、妊娠してからその状況は一変するのです。

当時の保育園の暗黙のルール「出産退職」を言い渡されました。

当時は、保育士が溢れていたので、
一人が辞めたからといっても、代わりの人間はいくらでもいる…
まるで、使い捨てのような扱いでした。

そして、子供を出産してからが、本当の辛い日々の始まりでした。

主人一人の給料のみになり、
家のローン返済と必要最低限の生活をするのがやっとかっと。
わずかながら貯めていた貯金も切り崩し、貧困生活のスタートでした。

当時は、地区で集める子ども会500円の徴収を出すのも渋るくらい本当にお金がなかったです。

早くこの貧困から脱したくて、子供が6ヶ月になったと同時に
別の保育園で臨時職員として働き始めましたが、新しい保育園では、

「人の子を見るよりも自分の子供を見れば?」
「熱を出して早退されると、迷惑をかけるって分からない?」

などと、働くお母さんを応援する保育園のはずなのに働く保育士ママには、
度々嫌味を言われる辛い環境でした。

所長からいじめられ、
保育士からもいじめられ

大人になってもいじめるなんて、
なんて精神的にレベルの低い人たちなんだろう・・・

わたしは一生、こうやって保育園を転々とし続けるのか・・・

と、保育士という職業に魅力を感じなくなっていました。

当時は、不平不満の塊だったので、
夫婦関係も最悪の状況で、
子供の前で毎日喧嘩が勃発。

お金がなくなると心まで荒んでいくんですね。

 

先も見えない病との戦いの始まり

下の子が2歳になる頃にようやく
尊敬できる園長先生の元で働けるようになり
充実していたかのように見えたのですが、

追い打ちをかけるように脳に腫瘍があることが発覚し、
病気と闘う生活が始まるのでした。

腫瘍があることによって、
てんかんのような症状が出、記憶障害が起こり、
1週間以上会ってない人の名前と顔が認識できなくなりました。

職場では、限られた人にだけ病気のことを打ち明け、
いろいろな面でカバーしてもらいました。

でも、近くのスーパーに買い物に行くのも怖くなり、家にこもるようになり、
人と会うのが怖くなり、鬱になっていきました。

病気が発覚してから2年経った頃には、
腫瘍の大きさも4㎝×3㎝になり、

意識がなくなる回数も2日に1回に増え、
何をしていたのか分からない時間が30〜40分へと増えていっていました。

当時5歳の娘と3歳の息子が、いつもわたしを見守ってくれ、
発作が起こった時にはわたしをソファに寝かしつけ、
コンロの火を消したり、水を止めたり、
主人や祖母に電話をして対応してくれていました。

今考えると、あんなに幼い子供たちが母親の病気を認識し、
家族みんなで支えてくれていたんだと思いますが、

当時は、鬱になっていたため自分のことすらままならず、

こんなに人に迷惑をかける存在ならいっそ早く死んでしまいたい…。
わたしなんて家族のお荷物でしかない。

悲観的でどん底だったので
本当に生きているのがつらい時期でした。

腫瘍がどんどん大きくなっていることもあり
もう薬だけでは抑えられなくなり、手術をしてもらえることになりました。

お医者さんは、最悪のケースも想定して手術の説明をしてくれるため、
もしこの腫瘍が悪性だった時は?と説明してくれるわけです。

手術を受けるまでの3ヶ月間は、死を覚悟した時間でした。
死を目の前にして、ようやく

あれもやっておけばよかった、
これもやっていればよかった
わたしは、果たして自分がやりたかったことをやってきたんだろうか?我慢ばかりの人生だった

やらなかった後悔が山ほど出てきました。
もしものことを考えて遺書も書きました。

もし、手術が成功して人生をやり直すことが出来るなら

「やりたいことは全部やろう!」

そう思って挑んだ手術だったため、
手術が成功して、どんどん自分を取り戻していくと、
せっかくもらったこの命を人のお役に立てることに使いたいと思いました。

 

第2の人生の始まり

入院していた時に美容師の方が、
髪を洗ってくれる際、ヘッドマッサージとハンドマッサージをしてくれ
それが心身ともに衰弱していたわたしにとって、
どんなに癒しの時間になったたことか!

この経験が、わたしがエステティシャンを志すきっかけとなりました。

鬱だった私が、
夢に向かって一歩を踏み出したいことを主人に相談すると、

「やりたいようにやってみたら?」

そう、応援してくれるのでした。

 

 

37歳でエステティシャンを目指す

保育士という仕事は大好きだけれども、
転々としていかなければいけない状況を脱したい。

人と関わっていきたいなら、

人を綺麗にして人を癒すことのできるエステティシャンになりたい。

そう決めてから、ボディマッサージやフェイシャルマッサージなど
様々な資格を取りにいきました。

資格は取るのですが、
一番経験もあり知識があるものが、脱毛でした。

なんせ、高校卒業と同時に稼いだバイト代を
エステサロンに注ぎ込むくらい、
脱毛だけでもあちこちのサロンに6年間も通っていたのですから(笑)

そう。
わたしのコンプレックスが人のお役に立てる番になったんです。

ムダ毛で悩む人を一人でも多くその悩みから解放し、
尚且つ、疲れた身体を癒すことのできる空間を提供したい!!

その想いでサロンを開業しました。

「資格を取ったからお客様が来てくれる」
「料金が安いから来てくれる」

そんな甘い世界ではありませんでした。

明るく見えたはずのエステサロン開業は、

見たくない自分と
今まで蓋をしてきた過去の自分に
向き合うスタートでした。

サロンを経営するということは、
全てが自己責任になるのです。

お客様が来ないのも、
売り上げが上らないのも
お客様がリピートしてくれないのも
全てわたしに原因があるのです。

中学時代に長期に渡りいじめを受けたことが
深いところにトラウマとして残っていたため、

表面上は人を信用していても、
心の奥では、本心を言えない自分がいて、

人に弱さを見せられない
人に任せることが出来ない
出来る自分を見せたい
変な人って思われたくない

当時のわたしはまるで何層にも塗り固められた鎧を着ている状態でした。

なんせ、エステサロンをスタートさせることを
友達に誰一人として言うことができていなかったんですから。

畑違いの職業に転換するなんて友達に言ったら

頭がおかしいんじゃないかと思われるかも⁉
反対されるかも⁉
だから、エステサロンが成功したら喋ろう!

今思うと、最悪ですよね。
友達ですら信用していないんです。

友達を信用していない=自分のことを信用出来ていないってこと。

そんな状況で、上手くいくはずがないのです。

⚫どうせわたしなんて誰も認めてくれない、
⚫誰も頼ってくれない、

自分のことが嫌いだったので、
人に弱さを見せると引きずり落とされる…そう思っていましたから。

でも、その考えを変えざる得ない出来事が次々に起こるんですね。

広告をかけてもお客様が一人も来ない日が続いたり、
やっと来店してくれたお客様なのに、
接客が思うように出来ずリピートに繋がらなかったり、

失敗の連続で、自分と向き合うことを余儀なくされるんです。

 

自分と向き合う

わたしの場合は先ず、ありのままの自分を受け入れることからのスタートでした。

★出来ない自分も認めてあげる。
★本当のわたしは何を望んでいるのか?
★今の自分と向き合い、会話する。
★人に頼る。
★人に相談する。
★弱さを見せる。
★人に興味を持つ。
★人の助言に耳を傾ける。

個性心理学を一から勉強し直し、
スピリチュアルな観点から自分を見、
宇宙世界で自分を見るなど、
興味を持っては学び、理解したら次に進み…の繰り返しでした。

わたしを認められるようになると、
今見えている世界が、感謝へと変わり、
今までマイナスに見えていたことがプラスに変わっていきました。

「自分と向き合う」ことを始めると、
お客様との関係も良くなり、

この方は、どんなことをすると喜んでくれるのかな?前回話をした続きが聞きたいです!と興味を持つことで、
少しずつ口コミで広がっていき、お客様が増えてくるまでになりました。

まだまだ、人間力が出来ているわけではないのですが、
こんなわたしでも誰かのお役に立てるなら・・・

と日々奮闘しています。

開業して6年が経ちましたが、

ムダ毛で悩む人を一人でも多くその悩みから解放し、
尚且つ、疲れた身体を癒すことのできる空間を提供したい!!

自分に自信が持てない方に
自信を取り戻して欲しい!!

という想いだけは変わっていません。

人生は一生、勉強であり学びの連続ですね。

 

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